『親切と大きなお世話の境界』

親切とは?
それをした相手に、結果喜ばれること。

 

大きなお世話(おせっかい)とは?
それをした相手に、結果嫌がられること。

どちらも、こちらがおこしたアクションにより生まれるもの。

 

この“大きなお世話”と“親切”の境界は、一体どこにあるんでしょう?

大きなお世話…と思われる事を恐れていては親切はできません

(親切にはなれません)。

私が思うには、
相手に自分をよく思われたいが為 (我の存在ありき) にした行動は“大きなお世話”で、

自分がどう思われるか?など論外で、相手の気持ちになって できた言動が親切…

と感じていただけるのではないかと…。

 

大きなお世話なことをしてしまったのか、
親切にできたのか…は、
行動してみないとわからないこともありますね。

幼い頃によく「人に親切にしましょう」なんて先生に教えられたけど、

そう言われただけで、 実際はどういうことが親切なのか…?

なんてことまで教えてもらいませんでしたよね?
子供たち、えらいなぁ。
大人が言葉にできてないことも、察して「はぁーい」って元気に答えてくれるんだものなぁ。

私は仕事現場で、常に相手の身になって…を心掛けているけれど、

大きなお世話 も 随分しているのかもしれませんね。

でも、相手の表情を見ていれば、大きなお世話だったのか、

親切にすることができた(喜んで頂けたのか…)は、わかりますけどね。

大きなお世話 にも度合いがあったりしますよね。

軽いお世話なら、親切とほぼ同等。
相手が「余計なことをしないでもらいたい」と憤慨されるに至っては、

マックスのお世話(笑)

大きなお世話 と 親切の境界は、行動したあとに見えてくるものなのかもしれませんね。