『肩書きの使い方で見えちゃいますね』

終戦記念日ですね。

毎年毎年、“靖国神社参拝の是非”の話題。

 

どうあれ、私たちは先輩を敬い抜かねばならないと思うんだけど。

ましてや、自分の意思なんて持たせてもらえずに、命を懸けて下さった方々に感謝と敬意を払うのは、当たり前のことだと思うんだけど。

 

海外からどんな批判を受けようとも、そこはブレてはいけないと思う。

あくまでも、一個人の日本人として。

 

肩書きがついてしまうと、一個人ではなくなってしまう。

安部首相が、私費で代理人に足を運んでもらった。

でも、玉串料に肩書きをつけましたよね?報道通りなら。

どうせ“私費”を強調させたなら、“一個人”として…まで貫いたら、

「おぉー」と私は思ったけど。

 

肩書きって、社会的な立場を現しているから、そこにはもちろん本人個人も含まれるんだけど

使い方でその人のセンスが見えるものでもありますよね。

 

葬儀現場で親族なのに、会社名とご自身の肩書きを堂々と出している供花を見る度に

心の中で「あぁ、残念な人…」「カッコ悪いなぁ…」…と思っている私なのでした。