『“教える”…ということ』

思うのですけどね、

先生が、園児や 児童や 生徒や 学生 に対し“教え”ますね。日々。

親が、子供に対し“教え”ますよね。日々。

上司が部下に対し 先輩が後輩に対し 教えますよね。日々。

お寺さんが、弔問客に対し 説法をしますよね。

 

私にも覚えがあるけど、

伝わらなくて わかってくれなくて イライラして…

そのイライラを相手のせいに したことは ありませんか?

 

「何度言ったら わかるの?」

「なんで、わからないんだ?」

「さっきも 言ったじゃないか」

などなど…。

 

でも。

本当に伝えようと思うなら、本気で伝えなきゃならないなら…

気持ちをリセットしなくちゃね。

 

“教える”っていうことは、

 

その相手に 素質があるかどうかとか

その相手に やる気があるかどうかとかは 

きっと さほど 関係ないんですよね。

 

要は、

教える側に、相手ができるまで教える“覚悟”があるかどうか…なんじゃないでしょうか?

 

なんか、ふと そんなことを 思ったりしました。

如何な ものでしょうか?